「兄を説得する方法はありますか」と、私は何度も自分に問いかけていた。

母が亡くなって、実家を兄と二人で共有名義で相続していた。空き家になった家の維持費は私が払い続け、兄は「売らない」の一言だけで動かなかった。私は兄を説得したかった。説得して、売却に同意させたかった。そう思っていた。

本を読んだ。相続争いの記事を読み漁った。共有名義の解消方法、持分買取、分筆、調停、裁判、いろいろな選択肢を調べた。

法律上は、兄の合意がなくても進められる手段があることは分かった。

でも、どの方法も、最終的に「兄との関係を壊す」ことと引き換えだった。それが怖くて、私はどの方法にも踏み切れなかった。

なぜ踏み切れないのか。自分でも分からなかった。

兄を嫌いなわけではなかった。子どもの頃は一緒に遊んだし、母の葬儀のときは二人で棺を見送った。でも、大人になってからの兄は、面倒なことから目を逸らす癖があった。

母の入院中も、「任せる」の一言で終わらせることが多かった。私はそのたびに何も言わなかった。言っても無駄だと思っていたし、兄の分まで引き受けることが姉としての役割だと自分に言い聞かせていた。

でも、さすがに限界だった。年間の維持費は二十万円を超えていた。私が片道四十分かけて通う交通費や時間を入れたら、負担はもっと大きい。それを全部一人で背負っている怒りが、少しずつ積み上がっていた。

ある日、夫が「君は本当に兄さんを説得したいの?」と聞いてきた。私は少し考えて、「もちろん」と答えた。

夫はさらに聞いた。「説得して兄さんが折れたら、君の気持ちは本当に晴れる?」と。

その質問に、私は答えられなかった。

想像してみた。兄が折れて「分かった、売ろう」と言ってくれた場面を。その時、私は本当に嬉しいのか? 売却が進んで、売却代金が兄妹で分けられて、空き家の維持費から解放される。確かに、肩の荷は下りる。でも、胸の奥に何かが残る気がした。

想像を続けた。兄が最後まで「売らない」と言い続けて、結局私が持分を兄に売って手を引く場面を。それなら、話し合いを終えられる。でも、その結末も、私が望んでいるものではなかった。

私は、答えを探して、何日も考え続けた。仕事中も、車を運転している時も、布団の中でも。考えすぎて頭が重くなり、週末は何もする気が起きない日もあった。

ある夜、寝る前に母の遺影を見ながら、ふと気づいた。

私は兄を説得したかったのではない。私が欲しかったのは、「兄に自分の気持ちを分かってほしい」ということだった。

説得と理解は、似ているようで全く違う。説得は「相手を動かすこと」が目的だ。理解は「相手に自分を知ってもらうこと」が目的だ。私がずっと求めていたのは後者なのに、前者の方法ばかり探していた。

これまで維持費を払ってきた私の苦労、草刈りに通い続けた私の時間、母の死後に一人で家を見守ってきた私の孤独。それを、兄に分かってほしかった。理解してもらえたら、結論がどうであれ、私は前に進める気がした。

でも、私は兄に自分の気持ちを伝えてこなかった。ずっと、「売るか売らないか」という結論の話ばかりしていた。気持ちの話は、一度もしていなかった。

次に兄と電話で話したとき、私は結論の話をやめた。代わりに、「空き家の庭で草を刈るたびに、母のことを思い出して泣いていた」と伝えた。声が震えたが、構わなかった。もう隠すのは疲れていた。

兄は少し黙ったあと、「知らなかった。すまなかった」と言った。

電話の向こうで、兄が鼻をすする音が聞こえた。兄が泣いている姿を、私は大人になってから一度も見たことがなかった。電話越しとはいえ、兄の感情に触れたのは何十年ぶりだったかもしれない。

その一言で、私の中の何かが静かに落ち着いた。怒りが消えたわけではない。でも、怒りの下にあった寂しさが、少しだけ和らいだ。

結論は、すぐには出なかった。兄は相変わらず「売るかどうかは、もう少し考えさせて」と言った。でも、私はそれ以上急かさなかった。

急かさなかったのは、私がすでに、欲しかったものを受け取れたからだった。兄が「すまなかった」と言ってくれた。私の苦労を知ってくれた。それだけで、胸のつかえが驚くほど軽くなっていた。

兄を説得するということは、兄を負かすことだった。でも、私が本当に欲しかったのは、勝つことではなく、分かり合うことだった。その違いに気づけたから、私はやっと、兄を敵だと思うのをやめられた。

共有名義の実家をめぐる兄弟の対立は、家や法律の問題のように見えて、実は「言えなかった気持ち」の蓄積であることが多い。結論の話を急ぐほど、気持ちの話は後回しになる。気持ちを置き去りにしたまま結論だけが出ても、あとで必ずしこりが残る。

私は、兄を説得したかったわけじゃなかった。ただ、兄に、私の孤独を知ってほしかっただけだった。

そして今なら分かる。兄も兄で、「売らない」と言い続けることでしか、母への気持ちを表現できなかったのだと。私たちは、二人とも不器用だった。