母が亡くなって二年が過ぎた頃、私は兄に電話をかけた。「そろそろ実家のこと、決めないといけないよね」と言った瞬間、電話の向こうで兄が黙った。

その沈黙の意味を、私はすでに知っていた。

兄は長男で、子どもの頃からあの家で暮らしていた期間が一番長かった。父の書斎も、自分の部屋も、庭の柿の木も、兄の記憶の中にある。私は中学で家を出ているから、兄よりもずっと浅い愛着しかない。それでも、兄が「売らない」と言い続ける気持ちは、頭では理解できた。

でも、私たち兄妹は共有名義で実家を相続していた。二人の合意がないと売れない。そして、兄は「まだ決められない」と言い続けていた。

最初の一年は、私もそっとしていた。母の死の痛みが残っているうちに、家のことで兄を追い詰めたくなかった。でも、一年が過ぎ、二年が近づき、庭の雑草が腰の高さまで伸び、近所の方から「そろそろ何とかしないと」と声をかけられるようになった。固定資産税の通知書が届くたびに、胸がざわついた。

兄と私の間には、子どもの頃から少し距離があった。大きな喧嘩をしたことはないが、心の奥まで打ち明け合う関係でもなかった。家のことを話し合おうとすると、兄は「任せるよ」と言い、少し経つと「でも、やっぱり今はまだ」と言う。その繰り返しだった。

私は、何度も怒りが湧いた。維持費を払っているのは私だった。草刈りに通っているのも私だった。夏場は月に二回、片道四十分の道を車で通って草を刈り、窓を開けて風を通し、ポストに溜まったチラシを片付けた。帰りの車の中で、何度「もう嫌だ」と声に出したか分からない。それなのに兄は遠くから「売らない」の一言だけで私の動きを止めてくる。その理不尽さに、眠れない夜もあった。

夫に愚痴をこぼしたこともある。「あなたのお兄さんが動かないなら、あなたが決めるしかないんじゃないの」と夫は言った。正論だったが、共有名義である以上、私一人では動けない。法的にも、気持ちの上でも。

一度、兄の妻に相談しようかと思ったこともある。でも、それは兄を追い詰めることになると思い、やめた。兄妹の問題に嫁を巻き込んだら、もっと複雑になる。結局、私は自分一人で抱え続けた。

ある日、兄に「一度会って話したい」と伝えた。兄は少し驚いた様子で「分かった」と答えた。

二人で実家に集まったのは、母の三回忌の後だった。仏壇の前で手を合わせた後、兄は縁側に座って庭を眺めていた。私が刈ったはずの庭の草がもう伸び始めていた。兄はそれに気づいただろうか。気づいていて何も言わなかったのか、そもそも見えていなかったのか。どちらにしても、兄を責めても仕方がないと自分に言い聞かせた。

私は兄の隣に座った。しばらく二人とも黙ったまま、同じ庭を見ていた。

「なんで売りたくないの?」と、私は聞いた。責める気持ちではなかった。本当に知りたかった。

兄はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。「売ると、母さんがいなくなる気がする」。

私は、その言葉に何も返せなかった。

兄にとって実家は、母そのものだったのだ。建物を売ることと、母を失うことが、兄の中で同じことになっていた。私は、兄がただ頑固で非協力的なのだと思っていた。でも違った。兄は、怖かったのだ。

私は「私も、母さんがいなくなるのは怖い」と言った。「でも、家があっても母さんは戻ってこない。私たちが家を持ち続けることで、母さんを引き止めようとしているだけかもしれない」と。

兄は庭を見たまま、また長く黙った。風が吹いて、庭の柿の木の葉が揺れた。子どもの頃、あの木に登って兄に怒られたことがある。そんなことを、このタイミングで思い出した。

しばらくして兄が「母さんに、ちゃんと親孝行できなかった気がする」と小さく言った。私は何も答えなかった。答えるべき言葉がなかった。兄がそう感じていること自体が、親孝行なのだと思ったが、それを言葉にしたら嘘くさくなる気がした。

その日、結論は出なかった。でも、帰り道、兄は「もう少し考えさせてくれ」と言った。その「もう少し」が、前までの「まだ決められない」と違って聞こえた。

数か月後、兄から電話があった。夜の九時過ぎだった。「妹に預けるよ。俺は、決められない」と。

声が少し震えていた。私は「ありがとう」と言った。何に対して「ありがとう」なのか、自分でもよく分からなかったが、それ以外の言葉が見つからなかった。

兄は「あの日、家で話してよかった」と言った。「お前が怒っていても不思議じゃないのに、怒らないで聞いてくれた。それで、少し楽になった」と。

私は泣きそうになったが、堪えた。電話越しに泣いたら、兄がまた自分を責めてしまう気がした。

私はその言葉を、兄の精一杯の答えとして受け取った。兄は「売らない」と言い続けていたのではなく、「決められない自分」を認められなかっただけだった。そしてきっと、私に「決められない」と正直に言うことは、兄にとって「売る」と言うよりもずっと勇気が必要なことだったのだと思う。

兄妹で話し合うとは、意見を一つにすることではなく、それぞれの怖さを知ることなのだと、その時初めて分かった。