父が私の名前を呼ばなくなったのは、去年の秋のことだった。
施設から電話があって、「今日、少し様子が変で」と言われた。急いで行くと、父はベッドに座って窓の外を見ていた。私が「お父さん」と声をかけると、振り向いた。ちゃんと振り向いた。でも、その目に何も浮かばなかった。
「どなたですか」と父が言った。
父が私の名前を呼ばなくなったのは、去年の秋のことだった。
施設から電話があって、「今日、少し様子が変で」と言われた。急いで行くと、父はベッドに座って窓の外を見ていた。私が「お父さん」と声をかけると、振り向いた。ちゃんと振り向いた。でも、その目に何も浮かばなかった。
「どなたですか」と父が言った。
正直に言うと、あの瞬間に何を感じたのかよくわからない。悲しいとか、つらいとか、そういう言葉が追いつかない感覚だった。しばらく立ったまま動けなかった。
施設を出て車に乗ってから、ぼんやりと実家のことを考えた。なぜそのタイミングで実家のことが頭に浮かんだのか、自分でも説明できない。ただ、あの家に父はもう戻らないのだ、という実感が初めて体にしみてきた気がした。
実家は豊田市の郊外にある。父が三十代の頃に建てた家で、庭には父が自分で植えた柿の木がある。毎年秋になると実をつけて、父はいつも「今年は大きいぞ」と自慢していた。
父が施設に入ったのは二年前だ。最初は月に何度か戻っていたが、半年ほどで行かなくなった。私が管理していたが、それも最近は月に一度行くかどうかという状況になっていた。
家はきれいに保っているつもりだったが、先月行ったとき、玄関の木が少し腐りかけているのに気がついた。雨どいも詰まっている。庭の草は私が刈っているけれど、柿の木は誰も手を入れていない。
売るべきか、と最初に思ったのはそのときだった。
でも、その考えが頭に浮かんだとたん、胸がざわっとした。売るってどういうことだろう、と。父はまだ生きている。施設にいるけれど、生きている。父の家を父が生きているうちに処分する——それは、何かを終わらせることじゃないか。
実家に帰るたびに、父の気配がある。
玄関には父の靴がまだ並んでいる。キッチンのそばに、父が読みかけたままの新聞が積んである。仏間には、もう誰も使っていない父の茶碗が置いてある。私が片付けられないでいるのか、片付けたくないのか、よくわからない。
「認知症でも家は売れるの?」と一度だけ、同じ境遇の友人に聞いたことがある。友人は「後見人とか、裁判所とか、色々大変らしいよ」と言った。それ以上調べる気になれなかった。
調べることで、「売ることになる」という方向に進んでいくような気がして怖かったのかもしれない。
父が私を忘れた日の夜、私はしばらく実家の玄関に立っていた。
別に何かをするつもりで来たわけじゃない。施設から戻って、なんとなく車を走らせたら、気がついたらここにいた。
鍵を開けて、電気をつけた。においが変わった気がした。少し湿っぽい。人が住んでいない家のにおいだと思った。
父の茶碗を手に取って、しばらく持っていた。何も考えなかった。ただ持っていた。
この家を売るとか、売らないとか、そんな話は今夜じゃなくていい。でも、いつまでも「考えないようにする」を続けていくのとも、少し違う気持ちになっていた。
父は私のことを忘れた。でも私はこの家のことを忘れていない。それが何を意味するのか、まだわからない。わからないけれど、そのことについて、ちゃんと向き合うときが来たのかもしれないと、初めて思った。
この記事は、過去にご相談いただいたお客様の実体験をもとに、物語調に編集したものです。同じような気持ちを抱えている方に、「悩んでいるのは自分だけじゃない」と感じていただけたら、それだけで書いた甲斐があります。
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