「介護費用のために家を売りたいんです」と、私は最初にそう伝えた。
理由は明確だった。父が施設に入って、毎月の費用が十五万円。年金と貯金で対応できるのはあと二年くらいだという計算をしていた。
実家は豊田市の郊外にある。空き家になっている。売れば、資金の問題は少なくとも数年は解決できる。
「介護費用のため」——それは正確な理由だった。でも、それだけが理由じゃなかった。
父が施設に入ったのは二年前だ。
父は「絶対に施設には行かない」と言い続けていた人だった。自分の家で最後まで暮らす、という強い意志を持っていた。でも足腰が弱くなって、一人での生活が難しくなった。
私と姉とで話し合って、説得して、施設に入ってもらった。
父は最初、施設に馴染めなかった。「家に帰りたい」と電話してくることが何度もあった。そのたびに「もう少し慣れたら」と言って、電話を切った。
ひどい人間だと思いながら、電話を切った。
父が「家に帰りたい」と言わなくなったのは、半年くらい経ってからだ。
言わなくなったことに気がついたとき、安堵しながら、同時に胸が痛かった。諦めたのか。慣れたのか。それとも、家に帰れないという現実を受け入れたのか。
その頃から、私は実家に行くのが億劫になった。父がいない家に入ると、自分がしてしまったことを思い出すから。
父の靴が玄関に並んでいる。テレビのそばに、父がいつも読んでいた新聞がある。
管理はしなければならない。でも、長居はできなかった。
「介護費用のため」という言葉は、私にとって盾みたいなものだった。
感情的な理由を表に出さずに済む言葉。「お金の問題として処理する」という構え。そうすることで、父への罪悪感と少し距離を置けた気がしていた。
でも、ある夜に実家の片付けをしていたとき、父の書棚を整理していたら、父の手書きのメモが出てきた。家の修繕の記録だった。「○年○月、外壁塗装」「○年○月、雨どい修理」——細かく書かれていた。
父は家を大切にしていた。この家を守ることが、父の誇りだったのだと思った。
その瞬間に、「介護費用のため」という言葉が崩れた。
本当のことを言うと、私は父に謝りたかったのかもしれない。
施設に入れたことへの謝罪。「家に帰りたい」という電話を切り続けたことへの謝罪。父が大事にしていた家を、お金のために売ろうとしていることへの謝罪。
売ることで、その謝罪を形にしようとしていたのか。それとも、売ることでさらに罪を重ねようとしていたのか。自分でもわからなかった。
「介護費用のため」という言葉は、その混乱を整理するための言葉だったのかもしれない。
父が施設に慣れてきたとき、面会に行くと父は施設のスタッフと仲良くなっていた。
廊下で一緒に冗談を言っていた。笑っていた。あの笑い方は、父が本当に楽しいときの笑い方だった。
その顔を見て、少し楽になった。父は今の場所で生きている。あの家を手放すことは、父を手放すことじゃない。父はそこにいる。
家はもう、「父がいる場所」じゃなくなっている。それを認めることが怖くて、「介護費用のため」という言葉の後ろに隠れていた気がした。
「介護費用のため」は本当だ。でも、それだけを理由にして進もうとしていた自分には、正直に言えていないことがあった。
父への罪悪感と、どう向き合うか。この家との別れを、どう自分の中で納得させるか。
その問いを後回しにしたままでは、何かが変わっても、何か大事なものが置いていかれる気がしていた。
