相続税の通知が来たのは、父が亡くなって五ヶ月後のことだった。
分厚い封筒が来て、最初はどこかの会社からのDMかと思った。でも差出人を見たら税務署だった。開けるのに一日かかった。
翌朝、覚悟を決めて封を切った。数字を見た。声が出なかった。
相続税の通知が来たのは、父が亡くなって五ヶ月後のことだった。
分厚い封筒が来て、最初はどこかの会社からのDMかと思った。でも差出人を見たら税務署だった。開けるのに一日かかった。
翌朝、覚悟を決めて封を切った。数字を見た。声が出なかった。
父は豊田市の郊外に家を持っていた。庭付きの二階建て。三十年以上前に建てた家で、私と兄が育った場所だ。
父には貯金がほとんどなかった。生前から知っていた。年金と、わずかな預金で暮らしていた。相続したのは実質的にその家だけだ。
「お金はない、家しかない」——税務署の封筒を前にして、最初にそう思った。それが正確な現状だった。
相続税がかかるとは思っていなかった。
知人に聞くと、「普通は基礎控除内に収まるからかからないよ」と言われていた。だから安心していた。でも、父の家の評価額は予想より高かった。豊田市の、特定のエリアに立つ土地だったせいか、路線価が思っていたより上だった。
税理士に相談すると、「相続税は確実に発生します」と言われた。金額を聞いて、頭が真っ白になった。
どうするんですか、と聞いたら、「売却して納めるか、延納の申請をするか」と言われた。どちらにせよ、時間がないと言われた。申告期限まで残り五ヶ月だった。
「売る」という言葉が、最初は受け入れられなかった。
父が亡くなって、まだそんなに経っていない。家の中はまだ父の気配がある。仏間に父の写真が飾ってある。押し入れには父の服がそのままになっている。
そこを片付けて、査定を受けて、買い手を探す——そんなことを今すぐできるのか、という気持ちだった。
兄に電話すると、「お前に任せる」と言われた。遠くに住んでいて、仕事が忙しいのはわかっている。でも、「お前に任せる」の一言が、ずしんと重かった。
一人で抱えていた期間が、二ヶ月ほど続いた。
何も決めずに過ごした二ヶ月だった。焦りはあった。でも動けなかった。動き始めることが、父との別れを急がせることのように感じていた。
ある夜、父の古い手帳が出てきた。几帳面な字で、毎日の出来事が細かく書いてあった。家の記録もあった。「○○工事完了」「庭木を剪定」「外壁塗装」——ひとつひとつの出来事が書き留めてあった。
父にとって、この家は暮らしの記録そのものだったんだと思った。そしてその家を今、私が受け取っている。
泣いた。久しぶりに、一人でちゃんと泣いた。
父が亡くなったとき、葬式の準備や手続きに追われて、泣く暇がなかった。相続の手続きに追われて、それからも泣く余裕がなかった。でも手帳を手に持ったとき、初めてちゃんと泣けた気がした。
泣いてから、少し楽になった。
何かが決まったわけじゃない。相続税をどう払うかも、家をどうするかも、まだ決まっていなかった。でも、「お金がない、家しかない」という現実を、少しだけ正面から受け取れるようになっていた。
焦ることなく、でも逃げることもなく——そんな向き合い方が、ようやくできそうな気がしていた。
この記事は、過去にご相談いただいたお客様の実体験をもとに、物語調に編集したものです。同じような気持ちを抱えている方に、「悩んでいるのは自分だけじゃない」と感じていただけたら、それだけで書いた甲斐があります。
家を売ることを決めたとき、全手順を事前に知っておくと動きやすくなります。豊田市で相続した不動産を売却する全手順・岡崎市で相続した不動産を売却する全手順の全手順ガイドをご覧ください。