「相続税が払えないので、家を売らないといけないんです」と、私は最初にそう説明した。
それは嘘じゃなかった。本当のことだった。父が残した家しか財産がなくて、現金がなくて、相続税の期限が迫っていた。だから売る必要があった。
でも今になって振り返ると、「お金がないから」という言葉は、私が本当に向き合いたかったことを隠すための言葉でもあった気がしている。
父が亡くなったのは去年の夏のことだ。豊田市の郊外に建てた家で、父は最後まで一人で暮らしていた。
私は隣の市に住んでいて、週に一度は様子を見に行っていた。兄は関東にいて、年に一度帰ってくるかどうかという状況だった。
父の介護や日々の手伝いは、ほとんど私が引き受けていた。
父が亡くなったとき、しばらく実感が湧かなかった。葬儀の準備、役所への届け出、遠方の親戚への連絡——手を動かし続けていたら、泣くタイミングがないまま一ヶ月が過ぎた。
相続税の通知が来てから、現実的に動かなければならなくなった。
税理士に相談した。「家を売って納税するのが現実的です」と言われた。「期限があるので早めに動いてください」とも言われた。
「わかりました」と答えた。そのとき私は、自分でも意外なくらい冷静だった。感情より先に段取りを考えていた。
売却の準備、相続登記、税申告——やるべきことを並べて、順番に処理しようとしていた。
「お金がないから売る」という言葉は、その冷静さを保つために必要な言葉だったかもしれない。感情的な理由を横に置いて、合理的な理由だけを前に出す。そうしないと動けなかった。
家の片付けを始めたとき、感情の蓋が外れた。
父の部屋の押し入れを開けたら、昔の写真が入ったアルバムが出てきた。私が子どもの頃の写真。父が若かったころの写真。私が覚えていないような場面まで、丁寧に残されていた。
写真を一枚一枚めくっていたら、手が止まった。
涙が出た。声を立てて泣いた。一人で泣いた。
そのとき初めて、「お金のために売る」じゃないということに気がついた。お金の問題は確かにある。でも私が本当に向き合っているのは、父がここに生きていたという事実だ。父とのすべての時間を収めた場所を、手放すということだ。
「お金がないから」という言葉は、正確だった。でも十分じゃなかった。
本当のことを言うと——私は、誰かに「それでいいんだよ」と言ってもらいたかった。お金の話ではなく、「お父さんのことを思っているからこそ悩んでいるんだよ、それでいいんだよ」と言ってもらいたかった。
でもそれは、不動産の相談の場で言える言葉じゃない、という気がしていた。だから合理的な理由だけを持ち出した。「相続税が払えないので、家を売らないといけない」と。
一人で泣いた夜から、少しだけ変わった気がする。
「お金がないから売る」じゃなく、「父の家を受け取って、次に渡す」という気持ちが、少しずつ出てきた。
売ることを父への裏切りだと思っていたのが、売ることも父の家を大事にすることの一形態かもしれないという考え方に変わってきた。
まだ揺れている。一日のうちに何度も気持ちが揺れる。でも、自分が本当は何に向き合っているかがわかってきた分、少し歩きやすくなった気がしている。
