父の四十九日が終わった夜、私は実家の居間で、母と二人で茶を飲んでいた。

「この家、どうしようか」と母は言った。私は返事ができなかった。母はそれ以上は言わず、静かに湯呑みを置いた。

あの日から、三年が過ぎた。

最初の一年は、何も決められなかった。父の死のあと、母の体調も崩れがちで、家のことを話す余裕がなかった。私は月に一度実家に帰り、庭の草を抜き、母と少し話して、また自分の家に戻る、という生活を繰り返していた。

二年目になって、母が老人ホームに入ることを決めた。実家は空き家になった。私は週末に通って換気をし、郵便物を整理し、庭を見回った。通うたびに、家が少しずつ古びていくのが分かった。雨樋の継ぎ目が外れていた。和室の畳にカビの跡が出始めた。台所の蛇口のゴムが劣化していた。

人が住まなくなった家は、驚くほど早く傷む。冬は水道管の凍結が心配で、通うたびに水を流した。夏は庭の草が二週間で膝の高さまで伸びた。近所の方が「虫が出る」と困っていると聞いて、慌てて業者に草刈りを頼んだ。一回の草刈りで一万五千円。固定資産税と合わせると、年間の維持費は三十万円に迫っていた。

その頃、私は本気で「売るべきか」を考え始めた。でも、考えるほど決められなくなった。

売れば、母が「帰りたい」と言ったときに帰る場所がなくなる。売らなければ、維持費と手間が永遠に続く。売れば、父と母の記憶が詰まった家が他人の手に渡る。売らなければ、私の家族の時間とお金が実家に吸い取られ続ける。

どちらを選んでも、何かを失う。その事実が、私を三年間縛り付けていた。

ネットで「相続 家 売るべきか」と何度検索したか分からない。出てくる情報は、どれも「早く売ったほうがいい」という結論だった。税金の優遇期限がある、維持費が無駄になる、建物が劣化する。全部正論だった。でも、正論で動けるなら、三年も迷わない。

私が動けなかったのは、「売る理由」が見つからなかったからではない。「売っていいと自分に許す理由」が見つからなかったからだ。

二年目の終わり、近所の古い知り合いに「まだ決められないの」とこぼしたことがあった。その人は自分も同じような経験をしたらしく、少し笑って、「決められない時期も、必要な時間なのよ。自分を責めなくていいの」と言った。私はその言葉に救われた。でも、救われたことに安心して、その言葉に甘えて、さらに一年が過ぎていった。気がつけば、三度目の梅雨が来ていた。

三年目の夏、母が施設で転んで入院した。大腿骨の骨折だった。手術は成功したが、リハビリには時間がかかると医師に言われた。退院後、母は「もう家には戻らないと思う」と言った。窓の外を見ながら、淡々と。

その言葉を聞いた夜、私は自分の部屋で長く泣いた。泣きながら、自分がずっと「母の戻る場所を残しておくため」という理由で迷い続けていたのだ、と気づいた。でも、母はとっくに、戻らないことを自分で決めていた。私は、母の決意を、自分の迷いの理由として使っていただけだった。

その夜から、私は売却を本気で考え始めた。ただ、動き出すには、さらに半年かかった。

動けなかったのは、「自分が決める」ということが怖かったからだ。誰かに背中を押されて動くのではなく、自分の意思で売ると決めることが、怖かった。間違っていたらどうしよう、後悔したらどうしよう、と考えると、足が止まった。

夫は「お前が決めればいい」と言ってくれたが、それが余計にプレッシャーだった。弟は海外にいて、この話に参加する気はなさそうだった。結局、決めるのは私しかいなかった。私一人の肩に、父と母の人生の最後の舞台装置を解体する責任が載っていた。

そう思うと、余計に動けなくなった。

あるとき、私は母に面会に行って、「家を売ろうと思う」と伝えた。母は少し考えてから、「いいのよ、あなたの好きにしなさい」と言った。「家はね、人が住まなくなったらただの箱なの。あなたの人生のほうが大事」と。

母の言葉を聞いて、私は自分が本当は何を許してほしかったのかに気づいた。「売ってもいい」という許可が欲しかったのだ。母の、ではなく、自分自身の、許可が。

それから、私は少しずつ動き始めた。急がず、でも止まらず。まず実家の写真を撮った。すべての部屋を、すべての角度から。父が付けた柱の傷も、母が選んだカーテンの色も、全部記録した。家を手放しても、記憶は手放さないと自分に約束した。

三年間の迷いは無駄ではなかった、と今では思える。迷った時間があったから、売ると決めた日に、後ろを振り返らずに済んだ。

迷うことは、弱さではない。迷いながらも、自分の答えに辿り着くまでの時間を、自分に許すこと。それが、家を手放すという大きな決断には必要なのだと、三年経って初めて理解した。

今もときどき、あの家の前を車で通ることがある。もう別の人が住んでいて、庭には知らない花が咲いている。それを見ると少し胸がざわつくが、同時に、安堵もある。あの家は、誰かに住んでもらっている。それでいい。