母を施設に送り出したのは、去年の秋だった。
岡崎市の実家から施設まで車で30分。荷物をまとめて、部屋の鍵を閉めて、母を助手席に乗せた。母は「どこ行くの」と何度も聞いた。「新しいところに行くよ」と答えるたびに、また同じ質問が返ってきた。認知症が進んでいた。
施設について手続きを済ませ、職員に母を引き渡した。私は駐車場まで歩いて、車に乗ってから泣いた。
母を施設に送り出したのは、去年の秋だった。
岡崎市の実家から施設まで車で30分。荷物をまとめて、部屋の鍵を閉めて、母を助手席に乗せた。母は「どこ行くの」と何度も聞いた。「新しいところに行くよ」と答えるたびに、また同じ質問が返ってきた。認知症が進んでいた。
施設について手続きを済ませ、職員に母を引き渡した。私は駐車場まで歩いて、車に乗ってから泣いた。
それから、実家に行けなくなった。
用事はある。母の郵便物の確認、固定資産税の支払い、空き家になった家の管理。理由はいくらでもあった。でも、玄関のドアを開けるたびに、母の気配がまだ残っている気がして、長く居られなかった。
タンスの上の古い写真。母が使っていた急須。冷蔵庫の中に残ったままの調味料。
「片付けなければ」と分かっていた。実家をどうするかも、決めなければいけないと思っていた。でも、決断するための気力が出てこなかった。
知人を通じて、不動産のエージェントと話す機会があった。売却の話をされると思っていた。
でも彼は、開口一番に「お母さん、今どんな様子ですか」と聞いた。
私は、最近の母の様子を話した。施設でよく食べていること、昔の話をよくすること、私のことを「あなた誰?」と聞くこともあること。
「実家のことを、なかなか決められなくて」と言うと、「そうですよね。お母さんをまだ近くに感じていたいんじゃないですか」と言われた。
言葉が出なかった。
「今すぐ決める必要はありません」と彼は言った。「ただ、選択肢を整理しておくことと、決断することは別の話です。売るにしても、貸すにしても、維持するにしても、それぞれの現実を知っておくだけでいい」
その言葉は、私の気持ちを軽くした。「決めなければいけない」ではなく、「知っておく」だけでいい。
私たちはその日、実家の話を少しずつした。固定資産税の負担のこと、建物の老朽化のこと、将来的な選択肢のこと。私は何も決めなかった。ただ、整理された。
帰り際、「今日話してよかった」と思った。
実家をどうするかはまだ決まっていない。でも、決断を先送りにしていることへの後ろめたさが、少し薄れた気がした。母を施設に入れたことへの罪悪感も、実家を手放すことへの怖さも、全部ひっくるめてまだ持ち続けていていい、と思えた。
施設に送り出した日から、実家に行けなくなっていた。
あの日閉めたドアの向こうに、まだ母がいるような気がしていた。
でも、それは母への思いであって、実家の問題とは別の話だということを、私はようやく少し分けて考えられるようになった。
この記事は、過去にご相談いただいたお客様の実体験をもとに、物語調に編集したものです。同じような気持ちを抱えている方に、「悩んでいるのは自分だけじゃない」と感じていただけたら、それだけで書いた甲斐があります。
実家と向き合えるようになったとき、売却の全手順が参考になるかもしれません。豊田市で相続した不動産を売却する全手順・岡崎市で相続した不動産を売却する全手順はこちらです。