一括査定のサイトを開いたとき、私は「まず相場を知りたいだけです」と自分に言い聞かせていた。
母から相続した家を、売るべきかどうか迷っていた。売ると決めたわけではなかった。だから、まず情報を集めよう、相場を把握しよう、そのうえで決めればいい、と思っていた。それが合理的で、正しいやり方のように思えた。
でも、あとから振り返ると、私が本当に欲しかったのは相場の数字ではなかった。
一括査定で複数の業者から連絡が来て、訪問査定を受けた。どの業者も、だいたい似た価格帯を提示してきた。
数字自体は、ネットで事前に調べた相場とほぼ一致していた。つまり、私が時間をかけて業者と会わなくても、相場は最初から分かっていたのだ。
それでも私は、業者と会いたかった。会って、話を聞きたかった。なぜだろう、と後になって考えた。
答えは、数字ではなかった。
私が本当に欲しかったのは、「あなたの決断は間違っていない」と言ってくれる人だった。相続した家を売ることに、私はまだ気持ちの整理がついていなかった。売ることを誰かに肯定してほしかった。「こういう方は多いですよ」「それが普通です」と言ってくれる、他人の声が欲しかった。
でも、訪問査定に来た業者たちは、私の気持ちには触れなかった。彼らの仕事は査定額を出すことと、媒介契約を取ることだ。私の迷いを聞いてくれる時間はなかった。
ある担当者は名刺を渡した直後から「今ならすぐに売れます」と話し始めた。別の担当者は他社の査定額を聞き出そうとした。
数字は教えてくれたけれど、誰も私の迷いには寄り添ってくれなかった。
ある担当者が帰り際に「ご検討ください」と笑顔で言った時、私は笑い返したけれど、内心では「検討ってなにを?」と思っていた。私が検討すべきだったのは、査定額や業者の選定ではなく、「自分はこの家を売ることに本当に向き合えるのか」だった。でもそんなことを聞ける業者はいなかった。
三社目の訪問が終わった夜、私は家の居間で一人で座り込んでいた。母が好きだった座椅子に座って、査定書を広げた。三枚、テーブルに並んでいた。三枚とも、似たような金額だった。
見比べても、何も決まらなかった。
数字はきれいに揃っているのに、自分の気持ちだけがどこにも着地できていなかった。
私は気づいた。私が「相場を知りたい」と言っていたのは、本当は「決めていいと誰かに言ってほしい」ということだった。でも、一括査定の仕組みの中に、その役割を果たしてくれる人はいなかった。
それから私は、査定書を引き出しにしまって、しばらく家のことを考えるのをやめた。考えるほど、自分の気持ちが分からなくなっていたからだ。
数か月後、知人の紹介で、豊田市で長く仕事をしている担当者に会う機会があった。その人は、査定額の話をほとんどしなかった。
私の母のこと、家のこと、兄弟のこと、将来どうしたいかを、時間をかけて聞いてくれた。
一時間半ほど話したあと、その人は「今日は、売る売らないを決めなくていいですよ」と言った。「相場は頭の片隅に置いておいて、まずご自身の気持ちが固まるまで待ちましょう」と。
その言葉を聞いた瞬間、私は涙が出そうになった。一括査定で会った三人の担当者からは、一度も言われなかった言葉だった。
あの人たちは「売る前提」で話していた。でも、この人は「売らない可能性」も含めて、私の話を聞いてくれていた。
帰りの車の中で、助手席に置いた一括査定の三枚の査定書のことを思い出した。引き出しにしまったまま、一度も見返していない。
たぶん、もう見返すことはないだろう。数字は同じでも、それを渡してくれた人の姿勢で、受け取る側の気持ちはまったく違うのだ。
私が欲しかったのは、数字ではなく、時間を預けられる相手だった。急がせず、私のペースに合わせてくれる人。売るかどうかを決めるための情報ではなく、決められない自分を受け止めてくれる場所。
一括査定は、数字を集めるには便利な仕組みだったと思う。でも、「自分の気持ちを整理する時間」は、誰も提供してくれない。自分で用意するしかない。
今振り返ると、私はあの頃、「情報を集めている」という行為そのものに安心感を得ていた。何もしていないよりは前に進んでいる気がした。査定を受ける、資料をもらう、ネットで調べる。そのすべてが「動いている証拠」のように思えた。でも、本当は一歩も前に進んでいなかった。足踏みしながら、腕だけ振り回していたのだ。
あの時の私は、相場の数字を求めているフリをしながら、実は誰かの「いいんですよ」という言葉を探していた。そのフリに自分で気づけなかったから、一括査定の電話の嵐に巻き込まれて、余計に疲れてしまったのだ。
もし過去の自分に一つだけ伝えられるとしたら、こう言いたい。「数字の前に、自分の気持ちを聞いてあげて」と。
数字を知ることと、決めることは、違う作業だ。その違いに気づくのに、私は遠回りをした。
