売らなければいけないと分かっていた。
頭では理解していた。父が施設に入って2年が経ち、実家は誰も住んでいない。固定資産税の通知が来るたびに、封筒を開けながら「またこの季節が来た」と思った。草が伸びれば、近所に申し訳ないと思いながら豊田市の実家まで草刈りに行った。
それでも踏み切れなかった。
売らなければいけないと分かっていた。
頭では理解していた。父が施設に入って2年が経ち、実家は誰も住んでいない。固定資産税の通知が来るたびに、封筒を開けながら「またこの季節が来た」と思った。草が伸びれば、近所に申し訳ないと思いながら豊田市の実家まで草刈りに行った。
それでも踏み切れなかった。
不動産屋に行けば「査定しましょう」と言われる。そこから話が進んでいく。私はそれが嫌だった。正確には、その「進んでいく」という感覚が怖かったのだと思う。
一歩踏み出したら、戻れなくなる。
実家を売るということは、父が戻る場所をなくすということだ。施設で暮らす父は、もう実家に帰れないと医師に言われている。頭では知っている。でも、私の中でまだその事実と向き合えていなかった。
動けない理由は、不動産の問題ではなかった。
あるとき、知人に紹介されたエージェントと話す機会があった。査定の話になると思っていたが、最初に聞かれたのは「お父さんのこと、今どんな状態ですか」だった。
私は少し驚いて、近況を話した。施設でどう過ごしているか。認知症が進んで、私のことを分からないこともあること。実家に行くたびに父のことを思い出して、帰りが遅くなること。
「売らなければとは分かっているんですが、踏み切れなくて」と言った。
「それは当然だと思います」と彼は言った。「売れる準備が整っていないとか、情報が足りないとか、そういう問題じゃないですよね」
そうなのだ。情報は十分だった。価格の相場も、手続きの流れも、税金のことも、ある程度調べていた。それでも動けなかった。
彼とはその日、売却の話を一切しなかった。
父との思い出を話した。家を建てたときの話。庭で育てていた柿の木。縁側で一緒に食べたスイカ。幼い頃に父と並んで見た花火大会の夜のこと。
ひとしきり話したあと、私は少し軽くなっていた。
「今日は売却の話をしなかったですね」と言うと、「焦らなくていいです。整理がついたときに、また話しましょう」と言われた。
その3ヶ月後、私は彼に連絡を取った。
「そろそろ動こうと思います」と伝えると、「分かりました」と返ってきた。
売却の話は、そこから始まった。
父が帰る家をなくすことへの罪悪感は、完全には消えていなかった。でも、私の中で何かが変わっていた。父のために家を売らないのではなく、父のためにこそ、ちゃんと動こうと思えるようになっていた。
施設の費用を長く支払い続けるには、現実的な判断が必要だった。そして、父の家をいつまでも維持し続けることが、父への思いと同じではないということを、ようやく受け入れられた。
踏み切れないとき、足を止めているのは「情報の不足」ではなかった。
「まだ整理できていない何か」が、先に動くことを許さなかった。
それを誰かに話せる場所が、私には必要だったのだと思う。
この記事は、過去にご相談いただいたお客様の実体験をもとに、物語調に編集したものです。同じような気持ちを抱えている方に、「悩んでいるのは自分だけじゃない」と感じていただけたら、それだけで書いた甲斐があります。
動けるようになったそのときのために——売却の全手順を豊田市で相続した不動産を売却する全手順・岡崎市で相続した不動産を売却する全手順に整理しています。