「認知症でも家は売れますか」と、私は最初にそう聞いた。

あの頃の私は、それが聞きたいことだと思っていた。父が施設に入って一年が経っていた。実家は空き家になって、固定資産税を払い続けていた。いつかは動かなければならない。だから、まず売れるかどうかを知りたかった——そのつもりだった。


父が認知症と診断されたのは、三年前だ。

最初のうちは、日常生活に大きな支障はなかった。薬を飲み忘れるとか、同じことを繰り返して聞くとか、そのくらいのことだった。

私は豊田市の実家から車で四十分ほどのところに住んでいて、週に一度は様子を見に行っていた。

父はまだはっきりしていたし、自分のことは自分でできていた。「まだ大丈夫だ」と父は言い続けた。私もそう思いたかった。

でも、徐々に変わっていった。一人でいるのが危険になってきた。転んだり、火を消し忘れたりするようになった。

それで施設に入ることになった。父は最後まで「ここを離れたくない」と言っていた。


父が施設に入ったとき、私は少し安堵していた。

それを認めるのは今でも気持ちが悪い。でも正直に言うと、安堵していた。これで毎週飛んでいかなくていい、夜中に電話が来なくていい、という安堵だ。

同時に、罪悪感もあった。安堵したことへの罪悪感と、父をここから引き剥がしたことへの罪悪感が、交互にやってきた。

実家のことは、しばらく考えないようにしていた。空き家の管理は続けていたが、「どうするか」という問いには蓋をしていた。


一年が経って、施設から「父の状態がかなり進行しています」と連絡が来た。会いに行ったとき、父は私のことをわからなかった。

帰り道に、突然、実家のことが頭に浮かんだ。

「売れるかどうか調べよう」と思ったのは、たぶんそのときだ。

でも今になって振り返ると、私が本当に確認したかったことは「売れるか」じゃなかった。そうじゃなかった気がする。


「認知症でも家は売れますか」という問いの裏にあったのは、もっと別のことだった。

——父が私を忘れた今、この家に対して自分はどう向き合えばいいのか。

——父がもう戻れないとわかったとき、それでもこの家を手放せるのか、手放していいのか。

——そもそも、「手放す」という決断を、私がしていいのか。

不動産の話ではなかった。手続きの話でもなかった。自分の中にある「父との関係の終わり方」をどう納得させるか、という話だったと思う。


父が暮らしていた家には、父の時間が残っている。

玄関の靴の並びも、壁にかかった時計も、縁側の使い古した椅子も。全部、父がそこにいた証拠だ。

その証拠を、自分の手で処分することへの怖さ——「売れるか」という問いは、その怖さを隠すための言葉だったのかもしれない。

売ることは、別れを意味するのか。

それとも、別れはもう始まっていて、家だけがそこに残っているのか。


答えはまだ出ていない。

「売れますか」と聞いた日から、もう半年が経つ。私はまだ決めていない。でも、「何が怖いのか」については、少しだけわかってきた気がする。

売れるかどうかではなく、自分が何を手放そうとしているのか。それを見ることから逃げないようにしようと、今は思っている。